2013-01-01から1年間の記事一覧
外出先から戻ると、誰からかは不明の、ミカンの苗木が届いていた。肥料とセットだから気がきいている。日頃「あんなになってる夏ミカンをどうして獲らない?」もったないをくり返しているので「なら、植えてみなさい」そうなるのが、ここの事情なのである。 …
「疲弊」という難しい言葉がある。僕は長い間、見たことも聞いたことも無かった。それだけ幸せな時代を生きてきたのだろう。ある時からたびたび出てくるようになって国会審議の場などにも登場し、有り難くない市民権を得て、迷惑にも日本全国を覆う黒雲のご…
ゴルフ場みたいな野原が好きだ。通学路が放牧地の中も通っていたからだろう。牛たちは時に数頭で道を占領して営業会議などしており、それにおびえてしまう女の子なんかにはワザと寄ってきて「今日空いてる?」からかったりするのである。あの顔で。僕らみた…
珈琲焼酎の大五郎はその焼酎のほうの仕事は終えて、成敗された青竹たちとともに「枝もの」専用の花器としての生活に入った。青竹は剣山としての役目を有り難くおおせつかり、短寸輪切水没の身となって大五郎器の中で15本の枝を支える。今朝はセッカチな制作…
小刀をつい買ってしまうのは、少年時に切れの悪いのを使っていたからである。切れるやつに憧れる。ここ20年はほとんどは鉛筆を削るために使ったが、芯が案外に硬いのか、これまたすぐに切れなくなる。カッターナイフでも鉛筆の芯には弱いし、鉛筆は僕にとっ…
出雲大社の屋根の修復記を読んだ記憶がある。台風で破損したのをそうしたのだったか定かではないが、厚い檜皮(ひわだ)をめくっていくとまだ新しいままのようなヒノキの香りがたちのぼってきた、とあった。 この記事での場所は厚さ45cmとあるが、もっと厚…
借家の庭に接して桜が咲いた。桜の背後は藪なので誰のかは不明。そこで本日からこの桜の面倒をみる役に勝手に就任することにした。 そういう目で観察すると、桜は地中のネットワークから無限かと恐れさせるほどに発生する竹たちに取り囲まれ、花も咲かせても…
中学の美術クラブにも部室が与えられた。6畳ほどである。美術の先生のアトリエも兼ねている。当然そこは梁山泊になって、入り浸りだ。親父は「あいつは不良になりゃせんか」と疑って、時にオフクロを偵察に出してきたが、心外であった。 しかし余りにも居心…
隠岐神社の隠の旧字がこうである。手元に漢和辞典がなくて作字のワケは不明だが、初めて気づいた。 手段が徒歩しかない時代に、何時間もかけてこの名所の桜を観にきたのだが、オフクロの背のねんねこについて歩いていて、気づくと同じ柄のねんねこの知らない…
深川のホームセンター「コーナン」で一袋勝手に詰め放題木片が380円だという話は以前にも書いた。これを閑暇にボンドで貼り合わせ、立体構成の学習をしていると言い訳しつつ、ゴミ山を築いて嫌がられ、かつこの地までも「捨てない理由なんぞあるか」と持ち込…
東京でも、たぶん何処でも、景色を眺めてじっとしているなどということはできない。2分間がいいところだ。スケッチでもすれば別だが、今さら絵手紙でもあるまいし。花葉もそうだ。ふーん、なんて言って2分間だ。すぐ団子に目がいく。 まったく風流心がない…
「おー、ツクシンボのやつだ出てる」 やつというほどに親しくはないが、ワーワーと出ているのである。そこらの空き地だ。「こっちはセリじゃないか? うん、たしかに」これまた尋常な量じゃない。2m幅でグルリと小学校のプールほどの空き地をセリが囲んでい…
モーツアルト最晩年の、とてつもない傑作『魔笛』はどこかの庭の小さな小屋で作曲された、という伝説はどうやら嘘みたいだ。だがそう思いたいほどに天上的に美しいアリアの連続である。アマデウス・モーツアルトのアマデウスは「神の子」という意味らしいが…
世界に小屋好きが大勢いるのは想像通りで、それには驚かないし、小屋のデザインもまあ想像通り。道楽は道楽止まりだから「勝手にやってなさい」と、そんな道楽はできない身のこちらは本で見ているだけなのだが、1枚だけ「やられたなあ」という感じのがあった…
『ポパイ』を創刊した1977年の編集部に大量のウニを抱いてお祝いに駆けつけた男がいた。「こんなに感動したことない」と日やけした男は叫ぶように話し、「そんなに遠くから!」と皆は呆れ驚きつつも丸喜ビルの狭い部内に不思議なうれしさが広がった。男はヨ…
夢野久作の初期作品に『田舎の事件』がある。彼が地方新聞の記者をしていたころに取材した事件?を膨らませたと想像する短編の数々だ。すっとぼけた味がとてもいい。 地方にいるのだから地方新聞を読む。各方面について高みから偉そうに煽るばかりの色合いが…
70男が朝6時からワカメを獲りに行くという。漁場は教えてくれない。崖をにじり降りてしか行けない岩場から30キロを担いでよじのぼる。「ついてこれっだか? うー」とアゴを突き出す。あっさりと降参して食うほうにまわる。今はこれくらいの大きさ。5本もいた…
町にこれまで縁のなかった人が入ってくる。街ではさかんに活動していたと想われるタイプの人も多い。馬を乗り回したいがために移ってくる人なんかはめずらしいが、それもいる。ある人は宅地、ボートだけではなく、山地も買ってしまう。それはいいが山なんか…
「君は釣りはどうだ?」「大好きです。ただ60年間ご無沙汰してますが」「磯ならこれで充分だろう」糸や用具の使い方の講義つきで竿をいただいた。 隣家の90歳になった釣りのにわか師匠は45年間この町で活躍し、敬愛された名医である。今は子息が医師を継いで…
『ここに幸あり』という歌謡曲の傑作を思いだす光景だった。海沿いの地区のはずれで出合った。あと少しで「行き止まり」の標示がある場所だ。誰がここまでこれを見にくる、というのだろう。 だけど誰かが必ず来るから、人は花を活けるのか。誰かのために活け…
巨大岩牡蠣をサザエとともにバケツ一杯いただく。潜って獲ったのは60男だ。牡蠣やサザエの表面を観ていると、近くの岩の表情と似ているのに気付く。 「あ、桜」と思ったら杏(あんず)だという。ふっくらしている。「こいつは落ちた実を食うだけんね」60男が…
借家の庭の隅に電柱が立っている。「NTT諏訪幹15H2 Eneralaヒガシ支9」と標札にあるが、むろん暗号だろう。 この根元が寂しげなので雑草園をつくることにした。といってもそこら辺の適当な草を20種ほど引っこ抜いて移しただけの1時間庭師なのだが。まだ本格…
島なのに多様な岩がある。全国屈指ともいわれ、黒曜石では荒稼ぎしていた。ということは多様な石ころもあるということで、それを愛でる人も出てきて、撮影なんかする人間もいる。これがその例だ。たぶん「愛でる会」でもあって、自慢しあったりしているに違…
何処まで行ってもレイアウトマンがいる。人々はレイアウトがたぶん好きなのである。とくに男は。昨日も道端で見つけた。これを見よ、と言わんばかりの態度で置かれている。だが素材はいいのだが置いただけで、「作品」にはなっていない。もう少し真剣になっ…
楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)は和紙の材料になる。それは知っているが、どれもしっかりと観たことは無い。昨日三椏をいただいた。少し中華ふうであるが、おいしそうな花である。 出雲に安部栄四郎という和紙作りの名人がいて、たしか人間…
「お宅の庭に転がってるケーブル巻みたいなの、雨ざらしのでいいんですが、2つ分けてもらえませんか」 「何にすんの。ああ、いいよいいよ。こないだ捨てたばっかだからあるかなあ。新しいのを持って行けよ。転がしていけばいいよな」 久しぶりに輪転がしを…
過疎地に行くほど車だけが頼りになる。僕は運転できないから、ちょっとした用には自転車を使おうとした。しかし海辺の道ではとんでもない突風がくる。なだらかといっても坂道も多い。考えたら「また歩けば良いのだ」と、あっけなく悟った。10歳までに車はお…
庭で拾ったハゲて朽ちるだけの椀に、霜が雪のようにたっている雑草を土ごと盛って供物とする・・・などというバカな儀式をしている側を、子供たちが連れて通学していく。「雑草という名の草はない」と昭和天皇が述べられた言葉は、何故だか忘れられない。だ…
庭の隅に椀が落ちていて雨に打たれていた。朽ちつつある。僕らは万象が朽ちる最中に、やはり朽ちつつ在るのだが、そうは思いたくないのか、無視して高価なローヤルゼリーなんぞを求めニタニタしている奴もいる。 だが朽ちるのだ。工芸高校の図案科の先生は何…
庭に板を置いた。厚さ4cmのカツラ材。将棋盤にも使うと聞いた素材である。横1m80cm、縦1m20cmで重さが40kgある。うかつに持ち上げると危ない。 広い部屋にいた頃につくって、だんだん狭い部屋に移って居場所が無くなり、借りた倉庫のすみで眠ったり…