誘われて(2013317・北東向き-3度5:30)

 過疎地に行くほど車だけが頼りになる。僕は運転できないから、ちょっとした用には自転車を使おうとした。しかし海辺の道ではとんでもない突風がくる。なだらかといっても坂道も多い。考えたら「また歩けば良いのだ」と、あっけなく悟った。10歳までに車はおろか、自転車さえ見たこともなかったのである。小学校へは山を越えなくてはならない。低学年時は午前中だけだから中途の山道で弁当を食った。そうしたことが難儀だと思ったことはない。
 
 むろん歩くことが、鍛錬になるとか、健康に良いとか思う人もいなかった。ごく自然に歩いていたのである。疲れたら水場や涼風の抜ける峰でひと休みするだけだ。しかし大阪でモダンガール張っていた28歳の母は戦争疎開での帰郷であるから、こたえたことだろう。この地で目が覚めた僕は船で以外は、歩くことしか知らないのである。
 
 その時代に帰ったほうがいいとは思わないし、どだい無理だ。運動は器具もばっちり揃っている施設が用意され、肌に良いという温泉までついて1回券は300円だ。車はただ前進と停止のペダルがあるだけだから、30キロほどでトコトコお婆さんも走っている。信号もない。
 だが今も歩いている人間だけが出会える桃源郷への入り口があちこちに待ち構えている。こうした事態は深川を歩いていても同じだったので、少しも不思議だとは思わないのである。