2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2012430・・・確固とした自信(新谷記)

字の大きさが異なっているのは、たんにパソコン操作上の結果なので承知ください。 また堀内さんの記事の隣にあった柳沢信さんのコラムも掲載したのは この時期に柳沢さんの作品を経堂の堀内宅を訪ねた時に特別に推薦するかのように 見せてくれたのを思い出し…

◎堀内誠一の写真論/卒展時評(1967年4月)

◎堀内誠一の写真論/大竹昌二展(1967年8月)

201251・・・妖怪(新谷記)

杉山の写真は「文藝春秋」誌だかで見たような記憶がある。 この老人(松永)は電力の鬼とも妖怪ともいわれ 電力会社を現在のカタチにしたのもこの老人だ。検索すればエピソードは山ほどありそうである。 僕が読んだ中では「70過ぎたら女は3人に絞れ」という…

◎堀内誠一の写真論/こころ(1967年6月)

◎堀内誠一の写真論/原本康三展(1967年5月)

◎堀内誠一の写真論/ペンすなっぷめいさく展(1967年3月)

◎堀内誠一の写真論/写真展時評・ニュース写真展(1967年2月)

●下は拡大版

◎堀内誠一の写真論/写真展時評(1967年1月)

2012428・・・円周率(新谷記)

円周率の数字をズラズラと暗記して呑み会の芸にしている人がいた。 10桁くらいからあとは何言ってもいっぱんには分からない。 勝手に数字を並べるほうがじつは難しいとも考えられるのだけど。古代から正方形と円は謎のカタチであった。 たぶん神の領域に属す…

◎堀内誠一の写真論/混血児の視点(1966年11月)

◎堀内誠一の写真論/真実性にひそむ怪獣(1966年10月)

2012428・・・警鐘(新谷記)

先に書いた堀内さんの「みんな誤解しているんだよ」という 言葉の意味が「敵」と表現されて出てきたのではないか。 僕の写真はデザインや状況を考えるきっかけとして記録しているに過ぎないという意識が あるから、写真はその素材でしかないつもりだが、堀内…

◎堀内誠一の写真論/フォトグラファーの敵(1966年9月)

2012427・・・此の花で2(新谷記)

ごちそうなりまくりの記録で残っているのはこれだけである。 無論まだ膨大ななりまくり体験はあるのだ。それは堀内さんの写真論と合わせて 思い出すままに書こう。「堀内大学」の校風の一端がわかってもらえたら良しとしたい。 堀内さん、ほんとうにごちそう…

2012427・・・此の花で1(新谷記)

渋谷に爺さん婆さんの開いている高そうな渋い呑み屋があった。 全体に黒っぽい造りで樽の椅子が8人ぶんに座敷がひと間あった。 爺さんは「シブタニ村と呼んでた頃からいるのだ」とぼそぼそ言ったが、怪しい。 つまみはおまかせで小さい皿に里芋一つみたいな…

2012427・・・「BAR馬」で(新谷記)

BAR馬で僕は本格的「堀内大学」の学生となった。生き方を教わり始めたのである。 ただし教わったものの、生き方の成績はさっぱりで先生にはとんでもない無駄遣いをさせてしまったのである。

2012427・・・酒席で(新谷記)

このころは酒席でも写真については大いに語られた。だが酔ってしまっていたせいか ほとんど覚えていないが何度も感動したことだけは覚えている。 このことを僕は55歳くらいのときにワープロで書き残そうとしていた。 だが例によって3日坊主だった。かろうじ…

◎堀内誠一の写真論 /イメージの源泉(1966年7月)

2012427・・・堀内誠一の写真論について(新谷記)

堀内さんの写真論そのものの解説は僕の力不足でできません。 もし触れることがあっても感想程度とさせてください。 この評論が書かれた時の空気は少しは書くことができます。1966年。堀内さん34歳でした。平凡出版から創刊された「平凡パンチ女性版」のADを …

◎堀内誠一の写真論/写真家を愛しなさい(1966年「カメラ毎日」)

ほとんどが「カメラ毎日」からなので以後は特別に記しません。 判読の具合は今のところこれが限界のようです。 (1966年6月)

2012427 ・・・光と音(新谷記)

光を失うことがあっても音楽さえあればいい、というふうにみえるほど 生前の堀内誠一さんは音楽を愛していたそうです(「作家の旅」平凡社コロナ・ブックス所収)。 一度だけパリの堀内さん宅を訪ねた時にはプロコフィエフのピアノ協奏曲だかが ラジオから流…

2012428・・・フランク(新谷記)

経堂のお宅にお邪魔したときに当時はやっていたコンテンポラリー・フォトの 話題になって堀内さんが本棚から引っ張り出して見せてくれたのがフランクだった。 ロバート・フランク。 フランクの解説は検索すれば今はドッサリ出てくるが、僕はこの時初めて観た…

◎堀内誠一の写真論/家からの連想(1966年8月)

2012426・・・頑迷でいること(新谷記)

写真の難しさの例でいうと、例えば添付した川辺の家にかけられた白いハシゴに 派手な花柄のワンピースを着た女が昇っていってる場面が撮れたら写真になったと 僕は、いえると思う。 しかしそれは無かろう。それでも待っていればこの近所迷惑?な家の おそら…

2012426・・・絵になる光景(新谷記)

スケッチブックを携帯している場合に、これは絵になるなあ、と感じる光景がある。 カメラ携帯なら写真になるなあ、となる。 隅田川岸に近い新川にはどっちにもなれそうで、さんざん対象になってきたと思われる ちょっと世ずれしたような物件があった。あまり…

2102425 カメラマンではないが(新谷記)

カメラマンのプロを目指してきたわけではない人(僕)は まずターゲットに対しての立ち位置がプロよりも少ない。 少ないから撮影枚数も少ない。 撮影時点で考えていることが浅く狭いのだ。考える速度も遅い。 どの分野でも素人とプロの差についてはそういえ…

2012426・・・天上の音楽(新谷記)

ベートーヴェンの9番を何としても絵本(動画)にしたいと、 時には熱狂的に思い詰めるのだけど しょせんは妄想であるから、熱がさめると忘れてしまう。 葛飾区の水元公園のそばを歩いていたら大きな溜め池があった。 かつては農業用として造られたのかもし…