2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

◎堀内誠一の写真論/ラルティーグ特集・その4・最終回(1971年6月)

↑パリ解放 写真左・フローレット・オルメア。いま彼女と私はパリにいない。大きな箱のような一部屋の家。大きな愛には小さすぎる隠れ家に住んでいる。私は彼女にかけ、彼女はいつも私を待っている。 写真右・1902年の初めての写真から49年後の父母、パリのビ…

◎堀内誠一の写真論/ラルティーグ特集・その3(1971年6月)

◎堀内誠一の写真論/ラルティーグ特集・その2(1971年6月)

◎堀内誠一の写真論/ラルティーグ特集・その1(1971年6月)

1971年の手元にある資料は、さきの『アンアン』論とこのラルティーグ特集だけです。 大きい特集なので何回かに分けて紹介します。 文章の部分は拡大したものです。 [ ][ ]

◎堀内誠一の写真論/ラルティーグ(1971年6月)

2012720・・・『アンアン』についての堀内さんの言葉(新谷記)

この堀内さんの写真論紹介ではいちばん重要な地点にきました。 『アンアン』について先回の1971年8月の特集に寄せた堀内さんの文章のほかには 自伝で触れているのも重要だと思いますので、 (権利問題にはあえて目をつぶっていただいて)紹介したいと思いま…

◎堀内誠一の写真論/アンアン論(1971年8月)

2012718・・・『アンアン』創刊(新谷記)

お預かりした資料には1970年のぶんがありません。 1970年の3月3日にアンアンを創刊したために評論を一時休止せざるを得なかったの でしょうが、もっともなことです。 堀内さんは38歳になっていました。23歳で『ロッコール』のADとして デビュー、27歳から『…

2012714・・・隠微(新谷記)

写真論の12月号で一村哲也の写真に添えて『開放されない隠微なままの方が 性はその力が強大なのかも知れない』と堀内さんは書いている。 そこで思い出したのは北千住駅の、夜ならのぞき込むのをためらう路地の光景で 「隠微」という言葉のもつ要素がそろって…

◎堀内誠一の写真論/天使に出会ったような反応(1969年12月)

◎堀内誠一の写真論/柳沢信ほか(1969年11月)

〇以前掲載時を不明としていた記事の前半部分が出てきましたので、 完全版として改めて掲載します。

◎堀内誠一の写真論/ブレッソン(1969年10月)

201276・・・説明しないこと(新谷記)

ひさしぶりに説明を省いた脚本でスカッとしていて 難解でありつつ、気持ちよく分かる気もする 全スタッフの味方になりたい映画を観ました。映画は写真であるという根本を示し、 それを映画館の広い画面で堪能する楽しさを共有できました。 よってこの写真論…

◎堀内誠一写真論/女を探り、時代をみつける中村正也(1969年9月)