不良のアトリエ(201347・室温18度・荒模様4:30)

 中学の美術クラブにも部室が与えられた。6畳ほどである。美術の先生のアトリエも兼ねている。当然そこは梁山泊になって、入り浸りだ。親父は「あいつは不良になりゃせんか」と疑って、時にオフクロを偵察に出してきたが、心外であった。
 しかし余りにも居心地がいいので、高校も工芸高校を選んで、時には日曜日も登校した。何するって、遅れている課題の制作ですよ。ウイークデーの授業時間はクラスみなでソフトボールをやっている学校だったから、そりゃ遅れるさ。もう親父は疑わなかったが、本人はかなりの不良品に成長していた。その仕上げのために工芸でも美術クラブに入ろうとしたが、クラブがなかった。考えたら、工芸は美術学校でもあった。
 
 1991年にニューヨークの川端実先生のアトリエを訪ねた。街をぐるりと船で3時間かけて見物し、ハドソンに面した先生のアトリエをライカで撮った。ここからしか全体が撮れない。右の12階建ビルがそれだ。元は裁縫工場だったという。廃業を機に貧乏芸術家専用のアトリエ兼住宅に改装されたのだから、ニューヨークは偉い。東京は何だ? 何が5輪だ。

 この町の波止場近くにもフランケン・ファクトリー(聡くんの工場・知らないか)があって気になっている。廃業したようなしてないような。
 何にしろ地球の果てでも男は工場を作りたがる。僕もピカピカのオフィスでパソコンに向かって為替なんかを売買している嘘人生なんかクソ食らえで、サビと木くずと絵の具にまみれて不良を完成させたいものだ。