お供え(2013315・北東向き13度8:30)

 庭で拾ったハゲて朽ちるだけの椀に、霜が雪のようにたっている雑草を土ごと盛って供物とする・・・などというバカな儀式をしている側を、子供たちが連れて通学していく。「雑草という名の草はない」と昭和天皇が述べられた言葉は、何故だか忘れられない。だけどもクレーは息子を野に連れ出して、草花の名前は覚えないほうが良いよ、と教えた。本人は植物学者のように詳しかったが。また日本画家の高山辰雄が「そこに青い実がなってるだけであって、林檎がなってると思わないほうが良い」と言ったのを何度も思い出す。「青い実」と「林檎」は異なるものだ、という考えはたしかにあっていいのだ。ここで会った植物学の丹後先生は「自分で育ててみないと植物は分かりません」と先日その日の森での獲物を手にして、船着き場でさとしてくれたのである。
 庭に置いた板はこんなことをグルグルと想わせてくれる場になろうとしている。