2012427 ・・・光と音(新谷記)

光を失うことがあっても音楽さえあればいい、というふうにみえるほど
生前の堀内誠一さんは音楽を愛していたそうです(「作家の旅」平凡社コロナ・ブックス所収)。
一度だけパリの堀内さん宅を訪ねた時にはプロコフィエフのピアノ協奏曲だかが
ラジオから流れてきて、パリ在住だった出口さんという人もまじえて
「今晩の聴きものだね」といってじっと聴き入っているので、僕も拝むような気分で
聴いていました。その曲は堀内さんがまだ日本にいた時分に
若林の自宅にお邪魔した際にも聞きました。
その時はレコードでしたが、聴きながらパリの細密地図を描いていました。
曲に合わせてハミングもしていたようでしたから、よほど好きだったのでしょう。

アンドレ・マルローというフランスの文化相が奈良の薬師寺を観て音楽にたとえたのは
有名なエピソードです。それは建築の形態に対して感じたのでした。
日常目にしている景色の中の光を見ていても、音楽が聞こえてくるような時があります。
時があるというより、ほとんどのばあいに聞こえてきます。
僕は葉のおちた篠懸(スズカケ)の大木を見上げると西洋音楽が聞こえてきます。

ヘストン主演のSF映画で、老人が死の床に自発的につくシーンでは、
どんな音楽を聞きながら逝くかと係員に聞かれます。
ベートーヴェンの6番を所望すると、ベッドを取り巻く壁全体に音楽に合わせて
田園の、動く映像がうつしだされます。映像とは光のことです。
光と音が絡み合って醸成する酒はだれもが最期にのみたいのだろうと思います。

日本橋浜町(新谷撮影)