2012427・・・堀内誠一の写真論について(新谷記)

堀内さんの写真論そのものの解説は僕の力不足でできません。
もし触れることがあっても感想程度とさせてください。
この評論が書かれた時の空気は少しは書くことができます。

1966年。堀内さん34歳でした。平凡出版から創刊された「平凡パンチ女性版」のADを
担当。素晴らしい出来でしたが、その女性版が「アンアン」に形を変えて創刊されるのは
4年あとです。この時期に僕は堀内さんの助手として拾ってもらいました。

評論が書かれた毎日新聞発行の写真雑誌「カメラ毎日」は当時もっとも人気がありました。
1984年に堀内さんが逝去。僕はすぐに発行元の新聞社をたずねて
堀内さんの部分だけコピーをとらせて欲しいと願い出ましたが
まったく整理ができてないのでと断られてしまいました。
そのことを広松さんに嘆いたところ、ある日にドサッとコピーが届いたのです。
それがこれから読んでいただく文章です。
ここで改めて広松さんに感謝したいと思います。
ザッと目を通したママで25年間も独り占めしていたことをお詫びします。