2012426・・・頑迷でいること(新谷記)

写真の難しさの例でいうと、例えば添付した川辺の家にかけられた白いハシゴに
派手な花柄のワンピースを着た女が昇っていってる場面が撮れたら写真になったと
僕は、いえると思う。
しかしそれは無かろう。それでも待っていればこの近所迷惑?な家の
おそらく頑迷な高齢であろう爺さんが危なっかしく昇る姿を写し込めたかもしれない。
彼がタキギでも背負っていてじつはエコロジー生活の実践者だとも夢想できる。
その実体をうかがえる姿が撮れる確率は高い。しかし素人はそれもしない。

で、撮れたのはここにこんな家がありましたという記録・報告だけだ。
もっと深い頑迷な行為の面白さ・不可思議さ・愚かさを写し込まなければ値打ちがない。
これは反省ではない。ないが、分かっていても努力しないのが素人なのである。
そうして撮れたかもしれないと、想った通りになる、とした時点で
観察から降りてしまうのも素人なのである。その事情を公の場でヌケヌケと
書いたり見せたりするのも素人だ。

素人というのはじつにそのようにくだらない存在なのである。
だけどネット上で重要文化財級の作品を観ようとは思わないし、観られるとも思えない。
ネットにはその級の密度は重すぎる。
ネットにはネットにふさわしい写真の在り方があるのだろう。
これは見本にもならないが。


(新谷撮影)