2012-04-27から1日間の記事一覧

2012427・・・此の花で2(新谷記)

ごちそうなりまくりの記録で残っているのはこれだけである。 無論まだ膨大ななりまくり体験はあるのだ。それは堀内さんの写真論と合わせて 思い出すままに書こう。「堀内大学」の校風の一端がわかってもらえたら良しとしたい。 堀内さん、ほんとうにごちそう…

2012427・・・此の花で1(新谷記)

渋谷に爺さん婆さんの開いている高そうな渋い呑み屋があった。 全体に黒っぽい造りで樽の椅子が8人ぶんに座敷がひと間あった。 爺さんは「シブタニ村と呼んでた頃からいるのだ」とぼそぼそ言ったが、怪しい。 つまみはおまかせで小さい皿に里芋一つみたいな…

2012427・・・「BAR馬」で(新谷記)

BAR馬で僕は本格的「堀内大学」の学生となった。生き方を教わり始めたのである。 ただし教わったものの、生き方の成績はさっぱりで先生にはとんでもない無駄遣いをさせてしまったのである。

2012427・・・酒席で(新谷記)

このころは酒席でも写真については大いに語られた。だが酔ってしまっていたせいか ほとんど覚えていないが何度も感動したことだけは覚えている。 このことを僕は55歳くらいのときにワープロで書き残そうとしていた。 だが例によって3日坊主だった。かろうじ…

◎堀内誠一の写真論 /イメージの源泉(1966年7月)

2012427・・・堀内誠一の写真論について(新谷記)

堀内さんの写真論そのものの解説は僕の力不足でできません。 もし触れることがあっても感想程度とさせてください。 この評論が書かれた時の空気は少しは書くことができます。1966年。堀内さん34歳でした。平凡出版から創刊された「平凡パンチ女性版」のADを …

◎堀内誠一の写真論/写真家を愛しなさい(1966年「カメラ毎日」)

ほとんどが「カメラ毎日」からなので以後は特別に記しません。 判読の具合は今のところこれが限界のようです。 (1966年6月)

2012427 ・・・光と音(新谷記)

光を失うことがあっても音楽さえあればいい、というふうにみえるほど 生前の堀内誠一さんは音楽を愛していたそうです(「作家の旅」平凡社コロナ・ブックス所収)。 一度だけパリの堀内さん宅を訪ねた時にはプロコフィエフのピアノ協奏曲だかが ラジオから流…

2012428・・・フランク(新谷記)

経堂のお宅にお邪魔したときに当時はやっていたコンテンポラリー・フォトの 話題になって堀内さんが本棚から引っ張り出して見せてくれたのがフランクだった。 ロバート・フランク。 フランクの解説は検索すれば今はドッサリ出てくるが、僕はこの時初めて観た…

◎堀内誠一の写真論/家からの連想(1966年8月)