1万人(2013825・強きも弱きも)

 地球から他の星に移住する時に限定1万人なら、無作為に選んだどこかの町の1万人をソックリ乗せていかないとうまくいかない、と聞いたことがある。
 僕らは選良優先を想像するが、長い宇宙の旅では「あんな馬鹿はみたことない」とか「酒ばかり飲みくさって」とか「数学については天才らしい」とか・・・要するに強い人も弱い人も清濁も混じって、問題の山が常のようになっているグループでなければ、破滅するというのである。これは保守主義の勧めのようでもあるが、世の中がどう動いているか、あるいはどうなるか誰にもわからない以上は、納得のいくアイデアで、身の程知らずから出た作為への警告かもしれない。

 渋谷で岩合さんの猫写真の展観をやっているらしい。氏にはアフリカ滞在時代の経験を聞いたことがあって、家族で朝食をとっていると窓からキリンがのぞき込むというスケールに驚いた。写真は現場にいなきゃ撮れない。
 ところで島にも猫はいる。先日会った奴は宇宙船に乗って「半端な田舎人のお前なんか乗せてやんない」とにらみつけてきたのであった。

ついに(2013822・旅行カバン)

世界堂を出て、ブルックリン・カフェで昼酒のんで、通りを眺めると何か感じが違う。角の交番が「どうしちゃったの、オイ」だった。前の交番はお邪魔虫みたいにあたりを圧して座っているかに見えたのだが、今や正装しちゃって茶色の壁にチンマリとデザイン的に収まっている。工事中なんだろな。話はそれるが、宍戸錠がギターを持って渡り鳥やってる映画で、ある町に流れてきて「シェリフは何処だ?」とおばさんに聞いたのには驚いたが、それを思い出した。ここは追分三五郎の追分、追分団子の追分だよ。オイオイ追分交番、頼むで。

 また話はかわる。1970年に『アンアン』でヴィトンを紹介したのが始まりではなかったか。柔らかいのでも2万円とある。給料が3万5千円のころだ。部屋代は8千円(風呂なし)。ちょっとクタってるのを創刊号でも見ることができるからユリは誰かのを持って行ったのである(この写真ではない)。それは堀内さんが以前にパリで購入した物とか言う人がいたが、本人には確かめてない。それにしても戦後すぐに彼が働きはじめた伊勢丹の前に『アンアン』から43年経って、そのヴィトンがやってくるとはなあ・・・しばらくボンヤリしてしまった。

こぼす(2013820・そうするしかなかった)

 30代後半に継いだ家をこぼした。島では解体をこぼすという。無人の家は朽ちるのが速い。専門業者のいない村ではこぼすのは大仕事だ。人手をさがすのも謝礼金の用意も大ごとだった。だから帰る気がないなら今やっておけ、との忠告を受けいれざるを得なかったのである。朽ちるのが速かったのは戦地から帰った親父が増築した部分であって、明治からの古い本体はビクともしてなかったのだが。
 
 いま。浜辺から幅1mの急な坂道を30mほどのぼった林の中にあった家は、天から押さえつけられたようになってねていた。後ろ山の木の種類が変わって保水性が落ち、湧き水が出なくなったのが致命的だったらしい。だがもはや金よりも人手がない。重機も入れられないので具体的にはどうやったか知らないが、用材たちは草木に覆われつつあった。雨に当たると木肌は急速に個性を失い、浄化されるように白くなる。その点はみんな焚きつけになった僕の家の木よりいいかもしれないとも思ったが、わからない。こぼした時から一度も行ってないとキツイ口調で言った家主の悲しさは、こぼした僕も少し知っている。

酔人会(2013819・仕上げの一杯)

小学館の元編集者で『日本国憲法』も作った島本脩二さんとは「酔人会」という男子4名による、酒呑んで話すだけの(それで充分なんだけど)時間をもっている。
 いつも居酒屋だが、このところは島本さんのご自宅にお邪魔することが多くなった。ご自宅は多摩川に面していて、強風の中を男の子遊びの「風なら凧だろう」と強行し、やっぱり行方不明にしてウデの衰えを嘆いたりする。
 散々吞むが、話が主であるからか、緊張しているからか、酔ってない気もする朦朧時を見計らって、この「珈琲火酒」が登場する。ウオッカに珈琲豆を仕込んだ秘伝?の酒で、クセになるうまさだ。先日六本木の豆腐ステーキで知られる「一億」の3階に島本さんたちが開いたギャラリー「ビリオン」にお邪魔して、またいただいた。ラベルの書き文字を見ていると島本さんと『ブルータス』創刊時に出会ってからの、それぞれの長い時間の味を想ったりする島の朝だ。

精進(8013818・なるほどなあ)

 精進料理の中心バッターの胡麻は、上京のたびに築地で多量に仕入れて島に送る。胡麻はヒイキの店の棚のいつもの場所に在る食品のひとつであって、数秒で手に入るのだ。
 島で、うちの畑の胡麻を間引いて好きなだけ持って行って育ててみたら、という話にのったが、胡麻の畑での姿は想像できない。どれだ? 黒と白の差もわからない。借家の裏庭を耕して高さ30cmのを40本ばかり植えたら、ちょっとの間に80cmを越えて、予想を裏切るような可憐なピンクと白の花が咲き、ミツバチが何処からともなく訪れてくれた。茎に袋がみえる。ここに実が入るのだろうか。
 ピンクに白、白に黒のが入るような気がするが、デザイン的な予想であって、生物学的根拠についてはまったく不知であります。

さすがだ(2013816・暑いから育つ)

 うちでは必需品で、納豆とも合い、緑のアミ袋に入っていて、出すと案外に冴えない緑色だったりする購入時に油断ならない食品。オクラである。アフリカ原産だとは聞いていた。栽培時にも油断ならなかったのである。あまりの結果に人類の生みの親アフリカを拝んでしまったのがこれだ。


↑板壁の幅1枚18cmと比べて欲しい。叩かれると痛いほどの棒である。畑は瞬時の油断もならない。何度も、地球が宇宙を飛んでいることを想わせる。神秘だ。


↑先端部分を湯がくと芯が現れた。筆にでもするしかない。いやマジに。

暗闇(2013817・闇に消えていくか)

 60年むかし。村の盆踊りは裸電球1灯の神社の境内で行われた。村一番のノドの、声のみによる盆唄がえんえんと続く。子どもらは洗濯したての白い服を着せてもらって、この夜だけは村を走り回ってもよかった。
 踊り場では点でしかない電光と月あかりにボンヤリ浮ぶ踊る大人たちのシルエット。着物が激しく擦れる音。歌い手にかえすゆるやかな合いの手。
 敗戦後6年。戦地からやっと戻った、戻れなかった、戻るかもしれない我が子、兄弟、夫への想い、街にいて空襲で焼死した家族への想いは、まだナマの、「今のこと」だった。宙に迷う霊への深い祈りの踊り、その空気は隅でみつめる子どもにも十分に伝わってきた。大人たちの踊りは真剣だった。夜の闇に体を投げつけるようだった。
 いま。電灯は照らし放題、普段着でひと汗かき、景品をもらって帰る。伝わってきた盆唄が静かな太鼓の音ともに歌われて、東京音頭炭坑節がなかったことだけが救いの盆踊りであった。これも古老とともに消えていくことだろう。