マメにしとるかいな?(201386・80代8名)

 僕が10歳まで育った村(多井)である。当時は100名ほどはいたと思うが、今は19名。町では「チベット」と呼ばれている。現在住んでいるのは役場も学校もある町の中心部で、多井の人が「あそこは都会だからうるさくていやだ」といっている地区だ。町全体では2400名(僕のいたころ7000名)ほどである。
 多井までは信号のない道を家から速度30キロで20分。究極的な静けさに、やっと文明から離れられたとの安堵感が広がる。僕の手でこぼした(解体した)我が家の跡は誰かが畑にしてくれている。何か作りたいが、こっちにもまかされた畑があって手一杯である。3月に来て適当に素人植えした野菜が食べきれないほどとれている。

↑その多井からきた新聞。区長は大学時代に一人で泳いでいると親父が監視役を頼んだ幸男である。古い仲だ。「声掛け合いながら」は本当で、必ず声を聞くようにしているようだ。「ボクの道」は町の計画が頓挫した行き止まりの道で、立派なアスファルト2車線。誰一人通らないから一人で勝手に整備して、席を設けて、酒でも茶でも飲む場所にしてやろうと思っている。500メートル以上ある。家から10秒走れば海。川ではウナギがとれた。

↑都会に出た子どもたちに「盆には帰れ」の知らせだろう。幸男がつくったらしい。立派なデザインで、なおしようがない。名乗ると僕を知らない人はいない。暴れん坊小僧だったから悪名が高いままだ。それぞれに屋号がある。僕は中新屋。村の中心部にあったからだ。下から2段目中心部に
近ごろはインデアンになった織野くん(に似た人)がいるが、小中の爺さんで、海も山もこなす名人であり、これから押しかけ弟子になるつもりでいる。