凝視(2013214・2度4:50)

 (たぶん、あらゆる生き物の)目は凝視しかできないようにできている。つまりトリミングしているのである。trimmerは刈り込みをする人のことらしいが、全員に生まれつきその資格が強制的に与えられている。要するにその刈り込み方によって各人に違いが出る。ドロちゃんと写真家とでは刈り込む部分が違うわけである。平準化しないと気が済まない人には申し訳ないが『ローマの休日』も『乞食と王子』も『水戸黄門漫遊記』も下層からみた夢物語だと思うがどうだろう。アントワネットが「食べ物が無いならお菓子食べれば?」って言ったとかは嘘だろうけど、ホントだろう。ピカソはうんと若いころに成功してしまって、買い物に出るときはボストンバッグに金詰めて歩き「ここから取ってくれ」と言ったとか。これは伝記にあった。その立場からピカソは事象を観ていたのだ。何やったってクビになることはなく(アントワネットは不運だった)、ちっとも困らない所(自由)にいる人間だけが持てるトリミング法とその限界に興味はある。

 それはそれだけの話で、うらやむようなことではない。庶民だって庶民の町を歩いていて、トリミングさえすれば何だか感動してしまう光景に出合う贅沢に浸ることができるのだ。
 天1点の青から濃い黄色を経て白地に墨がよれってたれていくような強い影、その足下に寄り添う2つの鉢を凝視して、心から「いいなあ、楽しいなあ」と感じられたら大成功なんだよ。