そんな時代もあった(2013215・4度4:50)

 ウイリアムアイリッシュは3つの名前を持った作家だ。生涯の殆どをホテルで暮らし、遺産は大学に寄贈した。変わり者といっていいかもしれない。
 彼はニューヨークを舞台にした作品が多い。悲しいほどの人間知にしか書けないようなサスペンス小説が、あんなに素っ気ない生活をし続けた厭人家から生まれるのだから、作品は脳が創るものだとつくづく思う。文庫版の短編全集はまさに珠玉の固まりで、いまだに影響下から僕は逃げ出せないし、ずっと下にいたいと思っている。
 
 彼が描くニューヨークは1930・40年代だ。この時代に全土への輸送便が盛んとなったことから、大部数の雑誌が生まれ『サタデー・イブニング・ポスト』もその一種で、そのオールイラストの誌面が放つ「幸福の幻想」は、日本の特にイラストレーターにとって、ある時期には憧憬の対象であった。
 
 小説中に男が2ドルだかを街路で拾うエピソードが出てくる。少額である。その金を男は届けてあげようとするのだが、そのような態度が当たり前だったニューヨークに驚いた。そんな時代もあったのだ。「幸福の幻想」とはそういう意味を含むのである。だが時代の必然のように雑誌に写真が登場して幻想時代は終わる。夢の何年間かであった。
 
 マガジンハウスの創業者である清水達夫さんが最晩年に新雑誌を構想した。彼はニューヨークの公園で、いっせいに飛び立った鳩をみて『鳩よ!』と呼びかける言葉の雑誌を創刊したのだから、今度は絵の雑誌を創ってみたいと考えたのである。だがその構想をカタチにしてくれたはずの、自分より若い掘内さんを失った穴はだれにも埋められなかった。堀内さんが亡くなる寸前に出席した創刊の会議で描いたラフには仮の誌名として『EHON』とあった。