世間が動いてくれる(201324・5度3:50)

 また動画を始めた。カメラがうんと安くなったからである。
 動画体験は8ミリ無声映画からだ。45年前になる。18分ものを何本もつくった。なぜ18分かといえば8ミリフィルムは1本の撮影時間が3分間で、僕の映写機で使えるリールの長さが18分が限界だったからである。よほどのことが無ければ編集でカットせず、ラッシュのまま繋いだので3×6本イコール18分というわけだ。当時は白黒フィルムもあったから、思ったよりも立派?な映画になって、NYで撮ったのも一人で楽しんでいた。
 
 とうぜん、ビデオフィルム時代も撮る。だが限界3分間からみると無限近くになって、何でもできることで逆に飽きた。・・・そしてデジカメ時代がきた。
 試験撮りして分かったのはカメラが軽過ぎて、手持ちだと揺れが激しく3脚がいるということだった。そのことで必然的にカメラを据えて撮ることになる。定点撮影でカットを積み重ねる方法だ。ズーミングもターンもできるだけ避けて静止カット数を増やす。自分が動かなくても世間が勝手に動いてくれるのだ。これが意外にいい結果を生む。ラッシュをパソコンで見るからだ。パソコンは編集機としては画面をルーペでみているようなものだから、細部までくっきりとみえる。逆に少しの揺れでも気になる。その結果、定点観察に最適である。始めたばかりの今はベランダに設置して「春のうららの隅田川 のぼりくだりの舟人」だけをねらって撮り重ねている。いったい何十種の船のカタログができるか。音は具体音だけだから耳をすまして観る。
 
 これから銀座8丁にも繰り出す予定だ。丁目毎に撮って積み重ねてみよう。人間は何も観ていない、と思う。意識しなければ見えないようにできているのだ。だったら数分間ずつ同じ所を動画カメラにみつめさせてみよう。ズーミングもターンもしないで、ドアノーが「俺は棒になるのだ」と言ってパリの街角にひたすら立っていたように。映画の客がパソコン前の自分ひとりというのは気楽なもんだ。