魔法の箱(201323・6度4:05)

 じっさいのところ、20歳中頃までは己自身が外国へ行けるとは思っていなかった。外国は遠い所だった。創刊号は毎度それだからか外国ネタになって、取材スタッフが帰国する際は羽田まで出迎える。待ってる間に木滑さんは「羽田のことなら裏口まで知ってるぞ」と芸能誌時代の忍者めいた話をしてくれた。羽田は夢への出入り口だったのである。
 自室にテレビが入ったのもその頃だ。それまでは「てなもんや」も「シャボン玉」もボンボンであった友人の部屋をわざわざ放映時間に訪ねて、見せてもらっていた。堀内さんは夜のんだ帰りに「家へ寄っていくか」というかわりに「テレビ見てく?」と言ったのだ。自室には本以外は何も無かった。電話も(保証金が高かった)。『アンアン』創刊の時代、若い連中の平均的な生活の様子はそのようだった。それなのに『アンアン』3号ではルイ・ブイトンをばっちり紹介するページをつくっていたのである。

 テレビは今も僕にとっては魔法の箱だ。だからいつもカメラを手元に置いて取材のつもりで観ている。もう二度と見ることもない状景が洪水のように流れていく。それを止めるにはカメラしかない。理由は分からないが、動画は僕の鈍い脳へのクサビにならないような気がするのだ。だから撮る。これがフィルムの時代には現像にバカ金がかかって毎度後悔したが、今やデジである。只みたいなものだ。そうしていて数知れないレベルで流れていく画像のどれかに、瞬間に感応する己とは何なのだと自問して遊ぶ。もしかすると内容など、どうでもいいのだ。きのうもプーチンの演説を面白くもなさそうに聞くロシアのおじさんを撮ってしまったが、撮った理由はこれから考える。どうせそんなものはないだろうけど。