スタッフになりたい(201310027・0度2:55)

 現『ブルータス』編集長であるN氏の父上はNHKのスポーツアナで、ダントツの腕をもっていた。野球のナイター中継でも試合開始前にカメラの台数、その位置、そこからの映像を見せ、球場が立体的に想い描けるように導いた。その上で進行中にも何かあればすかさず「この画像はライト側の上のカメラからです」とか解説するので臨場感が高まる。アナウンサーが視聴者の立場に立って放送することが、そんなに難しいのか、その後にはあれほどの人がいない(現役では相撲アナの吉田という人がちょっと似ていていいが)。
 
 観る側の誰もがそういうことに敏感とは思えない。僕はどちからというとスタッフ志向なので気にして楽しんできたのだろう。だけど雑誌でも中継放送(何でも)も関わっている全員の働きが充分に伝わってくることで生動パワーが出る。出ていないものは「死んでいる」と僕は感じる。現場に立場の上下関係などが厳しく存在して硬直している場合の空気は必ず伝わってくる。「使ってやっているんだ」と思い上がっている責任者のもとからは生動感は出ない。
 ほとんがそういう視点から観ると「並」かそれ以下だ。フェデラーが何となく好きなので豪での試合を観た。でもテニス選手の技はまったく分からないので、下の写真を撮っただけで切ってしまったが。試合そのものにはその程度の興味しかないわけだ。アナウンスや解説も「並」だったし。分からないクセにこんな事書くのはイカンが。


↑見えてるだけでカメラは3台。酷暑の豪であるからか青に統一されたセット。今回は体を包み込むような審判席のデザインが気にいった。座席の左右にはちょっとしたポケットもある。階段もいい。他の椅子なども含めて安定感を重視した設計だった。丸い筒の役目が確定できなかったが(広告用か)ボール少年(少女)?がメモ台にも使っていた。フェデラーが観ていた数十分間だけでも次々とラケットを替えたのには感心した。特性ジュースはまずそうに見えたが。


↑試合場全体がモダンデザインふうな中でROLEXの高級感のあるクラシックな意匠が効いている。SEIKOだとこうはならない。無性格でただ時が分かればいいとする感覚はデザインに対する態度が怠惰な印象を与えていることに気付いてないのである。