弱味(201310020・1度2:50)

 僕みたいに15歳でデザイン学校に入る人間はそう多くはなかった。その当時には普通の豊かでない家庭の子はほとんどが早く就職する習慣だった。だからこそ就職率が高くて、しかも自分の好きなことを学べる道を選んだのである。美術が好きだったが、食えないことは子どもでもわかるからデザインに進んだ。
 堀内さんもやはり15歳でデザインの道に入ったが、学校ではなく伊勢丹の宣伝課にいきなり就職して現場で学び始めたのである。1947年のことだった。
 それまでアメリカ軍が使っていた伊勢丹には当時簡単には手に入らなかった洋雑誌がたくさん残されていたし、地下には画集その他の本が図書館のようにあったという。また周囲は映画館が当時もいっぱいあり、しまいには顔パスで観ていたらしい。堀内さんによると「まるでエンサイクロペディアの中に住んでいたようなもの」だった。そんな学習の中から23年後に「アンアン」を産み出したのである。

 堀内さんが「彼とはウマが合う」と有り難くも言ってくれた僕とは多分早くからこの道に入ってしまった人間同志として分かり合える部分があったかもしれない。良い意味で「デザイン馬鹿」として。だから堀内さんにも若いころに培った独特の感覚的なクセがあったように思う。具体的にここで今は示さないが。
 
 堀内さんにはスケールもレベルも劣るが僕の感覚的弱点とも言える(勝手に言ってろ、だけど)のが縦線だ。以前から「早川良雄の壁」とか名付けて喜んできた造形物である。なぜこれに惹かれるかもどうでもいいことだが、どうも中学時代に美術部でクレーのまねっこをしていたせいではないかと疑ってはいる。・・・という自慢げで、ノンキな話題で御免。