角丸は守られたか(201310014・3度7:15)

 10年近くも前に『デザインを味わう新聞』なるものを刊行していた。A3判で部数は30。勝手に友人に送りつけていたのだが、それは60歳でパソコンを自修し始めたための練習台でもあった。6号まで作った中に「角丸特集」があった。身の周りには角丸処理をした物が多いが、丸の直径によって人に与える印象が異なることを味わったのである。
 その1例として明石町小学校をとりあげた。明石町には明治期に外国人が多く入ったせいか、聖路加病院などもそうだが洋風の建築があったようで、この小学校も角丸を多用して異国風であった。町でも文化財扱いして愛でていたのだが、中央区はいわば強引に建て替えた。それなりに事情はあるのだろう。工事中のを観ると角丸調を引き継いだ外観になっている。

 それと関連した話だが「建築空間は人間(作品)をつくる」説を信じている。人生のうちで何度も自ら体験はできないが、友人のイラストレーターであったペーター佐藤がニューヨークに移って、東京ではせいぜい6畳ほどのアトリエだったのから、ソーホーの天井まで5m・80畳もあるようなアトリエを得て、解放された喜びでか人間が変わったかのように大作に挑戦し始めたのは1例である。逆に同じニューヨークにいたセンダックはアトリエがあまりにも広すぎて創っている小さい絵本に合わないせいか、隅っこにワザワザ物で囲いをつくり大机も物の山とし、けっきょく新聞を広げたくらいの場所で制作していたと聞いた。
 
 角が丸い物に接することで、人はどんな影響を受けるのだろう。それも感受性の鋭い少年期である。小学校は以前のよりも手作りのような温かさは弱まったが、先人の想いに少しは沿ってくれているようだった。またそれに関した話で、たとえば懸案のイジメ対策に学校建築との関連にアプローチする議論が出ないのが無念である。建築空間が育み諫め正す部分はほんとにないのだろうか。科学的データが無いとか言ってる場合じゃないし(原発問題ごまかしの)オリンピックどころではないはずだ。