自分なら(201310013・2度5:30)

 堀内誠一さんと車内で中吊りポスターの鑑賞会をするのは毎度の楽しみ兼授業でもあったが、福田繁雄先生に「自分ならどうするかを考えて観るクセをつけろよ」とクソ生意気だった学校時代に叱咤されたの思い出して、ウカツなことは言えないのだった。
 端くれデザイナーの楽しみはデザインを鑑賞することで、有り難いことにデザイン物は上野の美術館で3時間も並ぶ必要もなくこの世に満ちあふれているので退屈しない。
 エレベーターのボタンも乗降中の時間つぶしとして楽しみであるが、久しぶりにちょっといいのに再会した。数寄屋橋ソニービルである。芦原義信の設計(1966年)のビルで、階段を動線にうまく取り入れているせいか狭さを感じさせず視覚的展開の変化も楽しめる優れた店舗兼ショールームである。このことは画材文房具のイトウ屋と比べるとすぐに分かる。イトウ屋の暗い閉鎖性は商品の持つ性格と合わないから、経営方針を文房具から明るい小物路線に変えようとしてもうまくいかないのである。エレベーターも牢獄ふうである。創業親父にデザイン感覚が皆無だったのだろう。
 
 名のあるデザイナーが関わって良くなるとは限らないのはご承知の通りではあるが、ソニービルは上出来ではないか。創業者の息が直にかかっていた時代のソニーの記念物で、現状のていたらくを嘆いているように感じられるのが情ないが。
 ボタンにもどる。直径5センチはあるしフンワリしていて無闇にお触りしたくなる。僕は特に開閉ボタンの処理が気に入った。
 これはいつも思う。ビクター・パパネックが『いきのびるためのデザイン』を1971年に著して今も版を重ねている。しかし僕は「いきのびるためのデザイン」が「デザインによってしかいきのびられない」時代にとっくになっていることに、いつになったら(ジョブス以外の)皆が気付いてくれるのか、と。