劇的とは(201310011・1度6:10)

 ベケットの『ゴドーを待ちながら』のト書きには「舞台には木が1本ある」と指定されているだけだ。どんな木だかは書かれていない。これほど簡素だから特別な予算はかからず、何処ででも誰でも上演することができる。僕はこの50年の間に10人近い演出家の考案した木を見た(自慢)。が、朝倉摂が創った以外の木は記憶にないのが不思議だ。ウラジミールを宇野重吉がやったからもしれないが、あまりにも簡素な設定なので、わざわざ舞台美術家に依頼しないからかもしれないし、記憶に残るのがいいのかどうかも分からない。
 木は第2幕で「木の葉のそよぎ風の音」「何を言ってるんだ」という有名なセリフで、出番がある。フランスでロングランしているとき(今はどうだろう?)にゴドーを演じたのが大ベテランのコメディアンだったのはこのセリフひとつからでも分かる。つまり演じるのも演出も難しい。
 
 能は背後に豪華な狩野派ふうの松が描かれ衣装は絢爛豪華である。庶民からは今も昔も遠いセレブ向けの芸能だ。あそこから出た勧進帳にしても現に公演中らしい海老蔵のキップは決して安くはない。その点では大衆芸能としては堕落したとも考えられる。
 さて、ここにも木が1本あった。階段や座れる敷板まで用意されている。枯れススキの効果はどうだ。あとは劇的なるものを創り出す才能さえあればベケットを継いでノーベル賞を頂けるのだがとは夢にも思わないが、大衆演劇のまねごとくらいならできそうな舞台ではあったのだ。見えるのは島田正吾の忠太郎をさがしにきた母親、持ってた提灯を落とすと同時に5人ほどを殺陣田村で流れるごとく斬り伏せて燃えあがる提灯の火のそばをゆうゆうと花道にひいていく辰巳柳太郎であった。