気配が残る(20131008・1度6:00)

 後鳥羽院が配流されてから800年経つ。院はここで18年間暮らして59歳で崩御した。居住跡をこれまでに何度も訪れて、うんと若い頃はあまりにも何もないので「なーんだ」と拍子抜けし、もう来てもしょうがないなあと感じたものである。いまも院についての知識の量は増えてないのだが、加齢のせいか歌人であり新古今和歌集の編集者でもあった院の心が少しはわかるような気がしてきている。
 いまだって跡には何もない。かつては院の小舟をもやった海岸から200メートルの小山に抱かれた跡には、天皇として過ごした都の栄華の欠片も見えないが、それこそトランクひとつで配流され頭脳だけになった歌人の覚悟が想われるのである。この林中に院の気配を感じるようになったのは加齢のせいだけでなく何もないからだろうが、押しかけ弟子の資格を得つつあるようにも思われてその変化がうれしいのだった。

  物 お も え ば し ら ぬ 山 路 に い ら ね ど も う き 身 に そ ふ は 時 雨 な り け り

・・・・院の遠島百首より冬の歌である.