寺さん(20121219・7度4:15)


 この本の構成者(兼、文章・編集)はフリーランスの編集者・ライター寺崎央(ひさし)である。通称テラさんだった。1冊ほとんどを彼一人で書いた。書きに書いた。それで平気な顔をしている猛者であった。レイアウトもほとんどを僕一人で担当したから、現場は進行の尻叩き役の石川次郎、監督の木滑良久とで4名しかいない。
 
 僕は昼間は『アンアン』のノルマをこなし、夜9時くらいから明け方4時くらいまで、すくなくとも6ページは仕上げなければ帰してもらえない毎日を過ごしたが、まったく苦にならなかった。それは相手がテラさんだったからである。
 あらかじめ聞いたおおよその、書けるという希望字数に合わせてデザインしていくのだが、オーバーすることが殆どで、それは僕がテラさんの文章の大ファンだったからである。キャプションも「チョロリでいいよ」(20〜40字)と言うのを無理矢理80字とったりして書いてもらった。彼はそれでも平気の平左衛門(表向きは)でこなしていくのだった。
 
 だが後年「あれにはまいった」と笑いながら言ったのがあった。それはバックギャモンというゲーム台を紹介するコラムで、だれも経験がなかったのである。それなのに僕は写真が地味なので、ここはテラ節で与太でも書いてもらおうと1000字も指定してしまったから、さすがのテラさんも困ったらしい。そりゃそうだろう。プロの書き手が与太をズラズラ並べて終わりというわけにはいかない。そこでテラさんは遊び方の説明を半分の500字にわたって敢行するのであるが、今読んでも笑える超難解(文章は易しい)な説明ぶりで、今や「幻の」とか評してもらっている本の傑作コラムだと密かに思っている。
 
 そのテラさんが先日急逝した。彼と組んで楽しい苦闘の日々を送れたことを誇りともし、深く感謝している。

↑この編集後記がテラさんによるのかどうか記憶にはない。上智大の体育館を借りてバスケのまねごとをしていた仲間たち。前列左から4番目にテラさんがいる。

↑最近のテラさん。