波高し(20121215・4度5:30)

 安部晋太郎が尖閣に何らかの施設を設置すると「公約」しているというのは本当だろうか。世界の時事問題ウオッチャーである田中宇は、もし公約通りに事が運べば、尖閣で戦闘が起きる可能性があると書いている。初の領空侵犯となるプロペラ機を飛ばした前日に、習近平が就任後にまず広東以南の軍団を訪ねる旅を終えて北京に帰り、カーター元大統領と会談していて(宮崎正弘による)、その日に侵犯のゴーサインを出したというのには不気味な意味があると思う。「初」ということには重大な信号が含まれてないか。野田は以前に胡錦濤のそれを見逃したといわれるが。
 
 マスコミは北鮮のミサイル発射を大きくとり上げて騒ぎ「初侵犯」は中扱いにしている。それでいいかどうか。外務省はオーストラリアと密かに何らか同盟を結ぼうとしているらしいが、安部になったら尖閣で何かが起こりうる、と踏んでいるのかもしれない。田中によるとその日本の思惑に乗るなという論がオーストラリアでは出てきているらしい。カーターとどのような密約があるか不知だが、アメリカが中国に力点を移しているのは庶民にも推察できることだから、口ほどに安保が効力を発揮するかどうかは分からない。
 
 エネルギー資源を、こと(今は尖閣での戦闘)あらば不安定になる海路(中国が制覇してないか)からの輸入に依存する道を、今年だけでも3兆円(らしい)払って選んだ日本は、リスクよりも貧乏を選ぼうとしているわけだが、貧乏をあまりにも美しく幻想してないか。緑の風とか自然エネルギーとかエコとか。
 戦中生まれがもう70になる。その70は焼け野原と、原始の緑と自然とエコしかない時代から、リスク(公害や爆発汚染で現実になった)時代を経て、偶然にも生きのびてこられた。それは運が良かっただけだ。しかし、知らんぞ、これからは。現実の貧乏が迫ってきたんだ。そんな所にチンマリ収まって夢見ていていいのか。眼を複眼にする必要はないのか。