終生の友(20121214・2度4:45)

 通った中学は町工場のど真ん中にあった。中にプラスチック工場があり、つねに吐き気が起きる異臭を放っていた。公害という言葉が無かった時代である。校庭のそばの運河は真っ黒な水がノロノロと流れ、あちこちでガスを吹きだしていた。僕にとってプラスチックのルーツとはそういうものなのである。
 だが目が覚めたら周りにはプラスチックしか無かった世代にとっては、安価で丈夫な旧友になっているのだ。給食でも病院でも社員食堂でもプラスチックの食器が使われている。カロリー量や栄養にしか興味のない人は食器なんか何でもいいのであるし、厨房では自動食器洗いに投げ込んでおけば、清潔この上ないほどに洗いあがってくるから有り難い。
 プラスチックはこうしてみんなの終生の友になった。終生の友といえば心の中でそうとうな位置を占めるはずであるが、占めているのだろうか。彼らの最後までを看取った記憶もないのだ。もしもそれらの食器が友でも何でも無かったというなら、それらは何だったのか。食物だけが記憶の中で宙に浮いているのだろうか。
 プラスチックは記憶されてはいまい。というか思い出したくない。無かったことにされて空白になっているのである。家庭でも職場でも彼は投げるかのように扱われ、そう扱っても文句をいう人は少ない。丈夫だからね。なにもそう熱くなることはないが、そういうのを自戒をこめていうなら「安易」というのではないか。みんなは安易に慣れ易い。
 僕はときどき勅使河原宏の映画『千利休』で三国連太郎が茶をたてるシーンを思い出す。信長が国を賭けるほどの器を、流れるような動作で扱う文化を持った唯一の国ではないか。僕らの国は。己の乱暴さが因で割ってしまった食器を新聞紙で包む時には、たとえそれが安物でも厳粛な気分になって思い出すのである。プラスチックが包まれることはない。けど、それはないよなあ。友だちだろ。