ネガ(20121213・2度5:30)

 先日もこんな写真を出した。2分後には消える一期一会の付き合いの影である。どうしたって等伯を思い出すが、懐具合とともに憂国の想いも重なる。

 その気分のままに書店に入ると、安部晋太郎ならぬ龍太郎の『等伯』があった。晋太郎ほどにも龍太郎を知らないが、等伯びいきで何でもいいからと購入してしまう。装幀を見た瞬間「また菊地の亜流か」と戻ってから確かめたら、本人の手によるのだった。写真はその見返しである。菊地とはとうとう50年の付き合いである。めったに会わないが仕事を通してようすはいつもみている。

 絵は柱の影絵で思い出した国宝の松だ。晩年の等伯が到達した松を菊地がネガにしたのは何故かは分からない。してはならない事とは思わないのである。まあ自由だし。でも考えてみると菊地は埴谷雄高を東大病院へ連れていって脳のレントゲン写真を撮らせ、装幀に使った男である。
 知り合った18才から一切色物を着たのを見ない男だ。最初に見た作品も白黒のコンポジションで黒シャツだった。この刷り込まれたような頑なさは何だろう。「おれは謎を仕掛けたいんだよ」と数年前には話していたが、これがそうなんだろうか。わかり易いというか、全然わからないというか。読んだらわかるかも知れない。
 それにしても折り返しの(編集者による?)惹句は、惹句になっとらん。