我が身を正せ(20121212・3度3:55)

 時に、この世は己の姿を写す鏡だと思わないか。姿とは心(感情)や脳(知)のいまの有り様をいう。己のどんな部分とも関係の無い外の姿が何故己が鏡に映ってるようだと感じるのか。そんな意味でこの世に己と関係のない状態は存在しないと想わざるを得ないのである。
 岡本太郎には自分の血を分けた子どもはいなかった。そのことを問われると「だって世界中にボクの子どもがいるじゃないか」と答えた。
 世尊はある有様を自分のこととして感じる能力があったからこそ生・病・老・死が苦の根源だという悟りに達せたのだろう。こういう風景を記録するとき「これこそ自分だ」と思うのは、ごく自然なことなんだ。古人はそれを「他人のふりみて我が身を正せ」と言った。正せという意味は、そう想え、それを認めよ、決して悪いばかりでもないだろうという慰めを含む声にも聞こえるのである。