契り(20121209・3度3:15)

 「寒い時季には枯れた菊花が良い」という吉田兼好が言いそうなセリフを思い出しながら、京橋築地小学校の金網にすがりついてる菊花を見た。確かに生気は消えているが次元の異なる生気のようなものがある。それで今度は上田秋成に『菊花の契り』があるのを堀内さんに推奨されて読んだのを思い出し、試しに検索したら青空文庫岡本かの子が秋成の晩年を書いてるのが出ていた。ともかく横組であるからか、しんどくて読み切れないので、頭の部分だけ移しておきますから、興味のある人はそっちへ飛んでお読みくだされ。ごほごほ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下引用

上田秋成の晩年    岡本かの子

 文化三年の春、全く孤独になつた七十三の翁、上田秋成は京都南禅寺内の元の庵居の跡に間に合せの小庵を作つて、老残の身を投げ込んだ。
 孤独と云つても、このくらゐ徹底した孤独はなかつた。七年前三十八年連れ添つた妻の瑚尼(これんに)と死に別れてから身内のものは一人も無かつた。友だちや門弟もすこしはあつたが、表では体裁のいいつきあひはするものの、心は許せなかつた。それさへ近来は一人も来なくなつた。いくらからかひ半分にこの皮肉で頑固なおやぢを味わひに来る連中でも、ほとんど盲目に近くなつたおいぼれをいぢるのは骨も折れ、またあまり殺生にも思へるからであらう。秋成自身も命数のあまる処を観念して、すつかり投げた気持になつてしまつた。
 文化五年死の前の年の執筆になる胆大小心録の中にかう書いてゐる。もう何も出来ぬ故、煎茶を呑んで死をきはめてゐる事ぢや―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり

青空文庫が縦組みになるのはいつのことだろう。