月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也(20121208・6度3:35)

 草 の 戸 も 住 替 わ る 代 ぞ ひ な の 家

をのこして芭蕉は写真にみえる万年橋たもと(白い塀で囲われている)の家から奥の細道に旅立った。それにしてもここらあたりにある芭蕉の2つの像のデキは情けない。雛の家の跡地は例によって浮世絵のここらを描いた絵で飾られており、芭蕉像が座っている。あの像は見ないで欲しい。イモ彫刻である。高村光太郎十和田湖畔にある裸婦の群像もイモだと書いた人がいたが、あれは政治的な匂いのする言いがかりであった(といっても僕も彫刻に感動はしなかったが)。世のなかにはこんな寒冷地に女を裸で立たせるとは何ごとだと怒る人だっているのである。そんな贅沢な?レベルではない。けなすくらいなら書かないのがいいのだが、こればっかりは敬愛する諸兄を傷つかせたくないから書くのだ。行くな。小林秀雄は「一流品だけを見るべし」と書きのこした。モノつくり人間の端くれにいてツライお言葉であるけど、己のことは棚にあげて、その通りだと思うのである。

 今日は珍しく釣り船が浮かんでいる。釣果の見込みがないのか早々と上流へ去ったが、奥の細道へでも行ったか。そうそう芭蕉もここから船で出発したはずだ。
 芭蕉は家を雛のある家族に譲ったと詠ったが、つくり話らしい。また「代 ぞ」は「世 や」を改めたと解説にある。たしかに「代 ぞ」のほうがいい。
 田中宇は昨日配信の自分のブログに『日本人の気質には、貧しくてエネルギー消費の少ない「清貧」が合っており、それが世界に誇る日本人の美徳になりうる』と書いている。「5歳児が10歳児と喧嘩しているレベル」と国外から評される日本の政治情勢だ。
 「行かふ年も又旅人也」。誰かあの像を替えてもらえないか。そういう代ぞ。