立て直し(20121130・8度3:45)

 以前この掲示板の設置代がひとつ14万円かかると知って仰天したことがあった。今の値段は知らないが、まさかそんなではあるまい。もう都知事選のポスターが貼られていて、衆院選の告示待ちである。「この日本を立て直さねばならない」と絶叫する声が2週間流れていく。「立て直し」は年の瀬にふさわしい言葉だ。ホントに直せたら立派だが。

 館直志(たて・なおし)という脚本家をご存じか。生涯に3000本を遺した、たぶん絶後の人である。松竹新喜劇の座付き作家であり、渋谷天外名での役者でもあった。藤山寛美とのコンビで一時期の大阪では道頓堀中座を大入りにし続けた人である。
 脚本のほとんどは楽屋で書かれた。1字が3センチ大もある豪快な原稿だったのを覚えている。楽屋で書いているのだから、団員の調子に合わせて資質を生かしていたのだろう。これは驚くことではない。モーツアルトだってそうしていた。仲間の歌手の声域に合わせて作曲していたのである。ナマの事情とはそういうものだ。 
 天外は女房の浪速千栄子の愛弟子に手をつけた。千栄子は怒って、後に嵐山に出した料亭のアプローチに敷いた瓦1枚ごとの裏に天外の名を書かせ、それとは知らない客に踏ませていたというから、同志諸君もご注意めされよ。千栄子の演技に凄みがあるのは、そういう面があったからに違いない。『お父さんはお人好し』ではアチャコと組んだが、僕は寛美とからむ千栄子を見たかった。
 
 談志は「落語とは人間の業をえがいたもの」と言ったらしい。僕はそれは談志が己の芸域に合わせて言っただけで、そんな狭いものだとはぜんぜん思わないが、「業をえがく」ということなら天外がずっと先だ。天外の作品の中には業から逃げられない人々の涙が笑いとともにあったのである。むろんそれだけでもなかったが。
 天外が『私の秘密』にゲスト出演したことがあった。司会の高橋圭三が「はいはい、では天外さん」と秘密を持ってる人に質問をするようにとふると、ちょっとボソボソ言う間があって「へ、まだ隣から脚本がきまへんので」と言った。隣には「水色のハンカチ」を作詞した藤浦洸が助け役でいて、ゲストにセリフを教えているのが茶の間にも見えるのが番組の売りであったが、天外のセリフが自前だったのはサスガである。