フロッタージュ(20121126・6度3:45)

 エルンストが描いたのが有名だが、ほかのシュールリアリストたちも競ってフロッタージュを試したに違いない。ただエルンストだけがそれを美術史に遺る「作品」にできたのだろう。
 小学校4年の時に、美術クラブでは教師が何を思ったか、布きれによる「パピエ・コレ」を課題に出した。結果は記憶にないが、25年後にパリでホンモノを観て、やっとその美しさの意味が分かった。子どもには理解し難い技法であったから、ずっと気になっていたのである。高校ではフロッタージュの課題が出た。それで気がついたが、校内にはこすり、うつして絵になるような凸凹の面が無い。校外でも探し出すのは容易ではなかった。
 こうした経験は未消化のせいか、ずっとひかかっていくものらしい。だがこれで確信したのは「子どもには難解極まることも教えろ」ということだ。年齢にふさわしいとかを考慮するな、ということだ。不明なコトを背負っていくのは決して負担ではない。むしろ背負わせるべきである。ことに芸能・芸術の分野の課題はそうである。

 点滴を日に3本ずつ両腕にうつハメになったことがある。点滴は文字通り薬液が点になって落ちきるのを待つ。その間は天井をひたすら見るしかない。この時には運が良かったというか、天井に何の跡かわからない模様が付いており、幾分は時間をつぶせたが、後で聞くと退屈で気が変になった男が松葉杖で天井画?を描いたというのであった。
 明治初期に建てられた家で寝ていた子どもの時分には天井の板目が幻夢に誘ってくれた。その村でみた板は鳳凰の顔にでも使えそうだったなあ。