行列論(20121030・10度5:40)

 ほとんど冗談で「行列論」をぶっている。物質も含めてあらゆるものは順に生まれたという考えだ。自然は同時を許さないと仮定するなら、人間の計測不可能な時間差によって順に生まれてくるのである。宇宙の星までもが。だからそれらは行列している。行列しているということは1本の時間軸(線)上にあることになる。たとえ何千光年離れていようとも行列論上ではやはり1本の軸の上に並んでいることになるのだ。行列論では離散という考えはない。その線だか軸だかに在るものどもは交流していると考えるのが自然だ。紀元前に線上に生まれた孔子の考えもそれ以前の線上にあった考えと交流しているはずである。
 人間の手で記録することが不可能だからといって、この事態を否定はできまい。事実だからである。神秘ではない。証明はできないが。
 
 それがどうした?というのが次の話である。人間の手で記録はできないけど事実であるなら、生まれてきた一切のものは消滅できない。消えようにも消えられないのだ。目の前から物体として消えても軸上での交流エネルギーという形で生きていくのである。僕らの心の中では山本夏彦が書いたように『死者と共闘』をしている部分があって、そういう形で実際にも生きているのである。
 消えられないならば、死がないことになる。孤独もない。ここがポイントだ。人間にとっていちばんの関心事は死である。それを考えたうえで苦しいなら、上記の冗談も役立ててもらいたい。僕は役立てている。いちど友人へのカードに何ヶ月か前に書いたことだが、何度でも書いて確認するとしよう。何度も同じ冗談を言うのは良い趣味ではないのは承知している。ブルックナーは弟子に「先生の音楽には何故くり返しが多いのですか」と問われ「人間は大事なことはくり返し言うだろう」と答えた。僕の場合は加齢の結果だ。

 ポーンと音がする。7年間だかを地中ですごし、成虫となり2週間の生を地上で謳歌しポーンと水面におちる。そこで最後の輝きを見せて彼は白くなっていく。