季節の響き(20121028・13度3:40)

 朝鮮戦争のあった1950年ごろに造られた波止場は、ただ自然石を積み上げただけの構造であった。セメントはまだ贅沢な資材だったのだろう。何千万年以前のとも知れない石は、以来風雨にさらされてきたといっても、見た目も触った感じも変わりなく今もあり、これからもあろう。
 僕は素朴な起重機でこれらの石をつり上げ、置いていく現場を見ていた記憶がある。見るからに危なっかしい工法であったから、例えは礼を欠くが、生け贄のごとくに死傷者が出た。敗戦から5年、まだ乱暴な時代だったのだ。そういう意味では波止場であり墓でもある。

 石の隙間に頭を突っ込むと、石にぶつかってきた海波が石の間を泳ぎ、去っていく響きが聞こえてくる。その響きは遠い黄泉の国からの声のようでもあって、誘うようにも聞こえた。簡単な釣り糸を穴にたらすと頭でっかちの黒い小魚が釣れた。
 それから60年経って同じように季節の響きを聴く。現代彫刻や現代音楽を想い浮かべながら、それを味わうなどという贅沢はその頃は夢想もしなかった。