効率(20121021・14度5:15)

 みんな効率をあげるのが好きだ。洗脳されたのか、本能なのかは不明である。小さい時から効率の悪い行動をしていると、愚図だトロイだ間抜けだと表裏でののしられ、己にも「また早とちりだ。バカ」とか言ってしまう。日誌に書き反省し明日は効率をあげると誓って寝入る。人間は効率については努力する動物なのである。これが知能の一部なのかどうか。効率をあげる方法についての情報はネットにも本屋にも講演会にも授業にも現場にもお小言にも満ちている。ガキでも近道に導いて得意がる。「思惟の経済」という言葉があるが、考える時でも効率をあげろ、という号令なのか。かといって今からは非効率に生きるぞと転換する非効率なことはしたくないが。
 
 ベテランライターのTさんは手書きからパソコンに移ったら「速えのなんの、すぐ書けちゃう。ホレ」とぼやいていた。そう、困っちゃうのである。こうなると効率をどう落とすかが目標になる。ただ効率が落ちた時に、嘆かずにむしろ楽しみ、顔を逆なでするのが新しい生き方だとか叫んで実行するほかはない。本は本を読まない店員がいそうな本屋で捜す(多数ある)。30時間は余裕のある通信は、辞書片手に郵便にする。キップは地図をにらみながら買う。遠回りして帰る。鈍行列車の速度を30キロに落とす<正直な鈍行>運動を起こす・・・・。
 
 荷車を納屋に残してる爺さんがいた。その爺さん小型トラックをぶっ飛ばしているのに、まだ捨てない。人間はこのように困った動物なのである。