井戸(2012109・15度4:00)

井戸に出会った人が発するセリフは決まっているようだ。
「おー! なつかしいー」「これってまだ飲めるの」「昔の人は大変だったね」
これくらいが上位の3つだろう。
僕が世田谷に下宿していた50年前にはモーターで汲み上げた井戸水を
炊事にも使っていた。それで腹をこわしたという記憶はない。
水温はよく覚えてないが、そういえばちょっと温かかった気もする。味もまるくて。
その下宿から創刊時の『アンアン』をデザインしに平凡出版に通っていたのである。
トイレは汲み取り式であったし。そんな時代には「セックスでやせる」などというテーマは
思いつきもしない。太るほどの余裕もなかった。一生涯、海外旅行に行けるとも思っていなかった。それはみんなの夢だった。

60年前には大きな井戸まで母親は水汲みにいって、桶を前後にかついで台所の水瓶まで何度も運んでいた。映画『裸の島』では音羽信子がそれをやっていたが。こっちも島の話である。
大井戸は年に何回か水を大勢でリレーして汲み上げて掃除をする。底の泥の中には大きな魚が何匹もはねていた。ここの水は甘美だった。

「わー、気持ち悪ーい」などと言われそうだが上下水道がそこそこに設置されてきたのは極最近のことなのだ。便利なことはギリギリで成り立っている。特に火山地震列島の日本では。
栄養学の川島四郎は水道水に文句つけている日本人は贅沢過ぎると言った。
何だってエネルギーがあればこそである。
久しぶりに出会った錆びたポンプは、僕には仏具に似ているようにおもえた。