舗道の森(2012922・21度1:45)

ダイヤモンド社の小冊子『経』9月号で掲載されてしまっている記事なのだが入手が難しいだろうから、断りもなく掲載する。『経』では「デザインの味」というタイトルで、デザインを味わうという姿勢でいる。地球上にあふれるデザインされた物の、それら全てについて作られてきた経緯に多大な事情があるはずで、その事情ぬきで批評などできるはずがない。デザインは個人の心の葛藤から生まれる芸術とは違う。集団の事情を反映しているからだ。その事情に分け入ることは余程でなければ不可能で謎である。だから仕上がった物を味わうほかないのである。なお『経」に掲載した写真は白黒1枚だが、元になってるカラーと、迷って結局使わなかったのも載せる。写真は白黒に限るのであるから『経』も探して見てください。と図々しくも宣伝。

●舗道の森

 世界中が特定の事象に夢中になることは危険ではないか。ある夜の今世紀最大にして最後と騒がれた天体ショーがまさにそれであった。ジョン・ウインダムSF小説『トリフィド時代』はそうして始まる。たしかにその流星群の輝くショーは誰も味わったことのない陶酔をもたらした。だが夜が明けたとき人々が見たものとは・・・。
 「舗道の森」と見出しをつけたが、街路樹を見るたびに森のようだと感じるからである。言葉の正否は別にして。小説のトリフィドはじつは食肉植物である。植物がこの宇宙人の姿でもある。そいつらが侵攻してくる危機に対して、地球人が天体ショーの夜が明けて見たのは闇だったのである。ショーはそれを見たことで全地球人を盲目にし無力化するトリフィドの策略だったのだ。街路樹をみているとこの背後に森をなして攻め込んでくるトリフィドがみえるように幼稚にも感じてしまうのである。
 その証拠に東京にはすでに15万本以上の街路樹が侵攻してきている、というのはむろん冗談で、誇らしい都市デザインの成果であろう。しかし先年の地震では街路樹が車道側に倒れて交通を遮断した例が多々あったというから油断はならない。デザインを施行してきた側も想定していなかったろう。全都民の緑化への願いは正しくても管理を怠れば命取りになる事態に陥るという厳しい現実を突きつけられてしまったのだ。15万本以上もの木々をこれから調べる必要がでてきたのである。コンクリートとガラスの街に緑を取り込む計画に反対する人はいないだろう。だが植物がただ優しいだけとするのは人間の勝手な思い込みではではないか。設計を少しでも誤ると緊急時の大きな障害となってトリフィド化する街路樹に、魔物のようなどう猛さを感じてきたのはあたっていたのかもしれない。やはりトリフィドは侵略の好機を待っているのだ。