観た、撮っただが(2012920・23度5:00)

カメラ持参で散歩しないと落ちつかない。丸腰というのは危険だしね? 
外景に対して何かを感じるかどうかが問題で、感じなくなったら見飽きたのかも知れないし、感度が鈍くなったと思わなくてはならんと覚悟する。
己は反射板だと思う。外景が絵になると思うことはあっても、写真になると反射することがないから、やはり写真家の才はないのだ。僕にとって写真は感じた時点の記録だ。メモである。
ご覧のように日本橋の古いビルだが屋上へのハシゴと電線のクルクルが絶妙な呼応をしていたのに感動してしばらくボーっと味わってから撮った。だが例によって渋い大人っぽいポーランドな色?もガラス窓のない不気味な沈黙に包まれるビルの貫禄も記録できなかった。この一角だけ時間が止まっていたのに。目では遠近法のごとく先細には見えてないのである(今は写真を修整するソフトがあるらしい)。あくまで平行に上に伸びていなくてはならない、と見えているのだ。アメリカの画家SHELEERが写真を絵に変換する理由がこんなことでわかるのである。