リーダーの言葉(2012918・23度5:30)

 『POPEYE』の最終ページの原稿として石川次郎さんから手渡されたのは「次号予告」の原稿のみだった。ページの下部には5分の1広告がはいることにはなっていたが、上の正方形はかなり広いスペースである。本文の中味は情報満載をうたってギシギシなのに最終ページが自社広告だけでは気が抜けてしまう。そこで考えたのが編集長による編集後記である。
 これは『アンアン』の時に前科?がある。何故前科か。編集長が書くのを嫌がるからである。そもそも編集長職は多忙を極める上に原稿書きは管理職になってから何年もご無沙汰という状態だ。誰だって金にもならない苦しい作文はしたくないものだ(それはこういうところで読者がほとんどいないのを幸いに書きとばしているのとは違います)。
 『アンアン』の時に編集長に勝手にスペースをとってしまって書くように迫ったのは『アンアン』の創刊当時の売り文句が「フィーリング・マガジン」だったからである。これはなんのことか読者のみでなく僕もわからない。だから書いて欲しいと強要したのである。初代編集長の柴崎文(あや・男性)さんは優しい人で「いやーそれがわからないからフィーリングなんだよなあ」と嘆きつつ書いてくれた。
 それを木滑さんにも迫ったのは『POPEYE』が木滑さんの「会議無用説」により編集会議のない部であって、1を聞いたら10を知れと言わんばかりで、どういう雑誌を創りたいのか、読者よりもまず先に編集部の学生アルバイト君に至るまで徹底させたいと思ったからである。軍団が何処へ向かっているのか現場が周知していなければ結束力がおちる。周知させるのはリーダーの言葉だ。それを書けるのは編集長しかいない。その時点ですでに社ではカリスマ編集長だった木滑さんにじかに「どういうふうに」と聞ける雰囲気はなかった。だからこその強要だったのだ。
 思った通り最初は嫌がった。だけども「新しいことをやるときほど言葉が必要な時はない」と迫って、あの人も根が優しいから「やれやれ」と付き合っていただけたのである。それから30年以上もたって後記がまとめられて文庫本にはいるとは考えもしなかった。望外の喜びというやつである。
 僕も中に登場している回のを自慢で掲載します。