忘れられていくのがいい(201310022・3度3:30)

 山本夏彦は「祖父の父親がいかなる人間だったか知っている人は少ない。人はそうして忘れられていく」と書いた。たしかに僕も知らない。親父は知っていたろうが聞くこともなかった。推測では農漁業従事者だろうなあ。江戸時代生まれだ。祖父も江戸時代生まれだ。祖父が生まれた時には龍馬もまだいた。その祖父の膝で育ったなんてのは何度考えても不思議な気がする。

 浜町に金比羅さんの小さな宮があって、寄進者の名を彫り込んだ石柱が残っている。それほど古くは無さそうだ。でも消えつつある。「に組 八右エ門」。この人が祖父の父親だと子孫は教わっているだろうか。それなりにこのあたりじゃ幅をきかせた男だったろう。むかしテレビ時代劇の『三匹の侍』では「そのあと彼の行方はだれも知らない」とかで終わって、われわれも酒席で使わせてもらった。「あ、あいつ今どうしてっか、だれもしらない」と冷たい。

 吉良邸はこのすぐ近くで、邸の近所に釣り好きの殿様が住んでいたという。江戸湾が魚の宝庫だったと分かるのは、その殿様が大冊の釣り本をマジでつくってくれたからであるらしい。あの大事件のころだ。そのまた近所に砂町があって砂地のせいか江戸の町で消費された野菜の一大産地だ。砂町にはそれを記した碑がある。これで魚と野菜が揃った。あと米と味噌醤油がありゃ言うことねえや。
 そういう町の何代目かの八右エ門氏である。海舟の親父の小吉と知り合いでもおかしくない。海舟はこの辺を歩いて赤坂の先生宅に通っていたのだ。

中村草田男

降 る 雪 や 明 治 は 遠 く な り に け り

がある。そういえば岡部冬彦の「きかんしゃ八右エ門」という絵本があったなあ。