はるよこい(20121221・2度6:10)

 山本夏彦は日本人が唱歌を軽視することによって、全世代の心の基底になくてはならない共通性を失うことを心配していた。今や教科書にビートルズがあるらしいが、世代がもう分断されたのだろう。今更どうすることもできない。少子化への対策がすでに手遅れであるように。
 僕はいまも借室の窓から隅田川を見下ろしていて2部合唱「はるのうららの隅田川」をいつも思い出す。すぐそばの渡し場跡では「ことし60のおじいさん としはとっても おふねをこぐときは」が出てきてしまう。冬がきて「やまは しろがね あさひをあびて」や「ゆきの ふるよは楽しいペチカ」「いぬはよろこび にわ かけまわり ねこは こたつでまるくなる」が聞こえてきて、うんと寒くなれば「はるよこい はやくこい」が出てきてしまう。

 それらの歌には悪意のかけらもなく、祈りにも近い穏やかな優しさが満ちている。歌って聞かせた母親も教科書も、目指さねばならない理想の世界(ビジョン)を示していたのである。
 「いい年こいて甘ったるいこと言いやがって」という人は闘争のど真ん中でドンパチやっているつもりで、それどころではないのだろう。政治家にビジョンがないと新聞は書く。分断された個々人が現世利益だけを追求している世の中で、誰もが納得するビジョンを描けるだろうか。
 たった35才で亡くなったモーツアルトは最期のベッドでパパゲーノ(「魔笛」)のアリアを口ずさんでいたという。それは「おれは鳥刺し パンと かわいい嫁さんさえあれば 言うことなし」みたいな歌である。