ひとり立っている(20121220・2度1:45)寺さん掘内さんの日に

 街なかにポツンと立っているように見える物がある。ポツンとしていることでそれら
は目立っている。しかし暇そうに立っているようでも、その多くは車両の不規則な侵入
を防ぐ番人である。公道では曲がり角にUの字を逆さにしたのや、太い鉄棒のがどこで
でも見られる。特別の決まりがないのか、Uと棒の形は撮影による収集マニアがいてほ
しいほどに微妙で多様である。それは「防ぐ」というテーマが各担当者にどのようにと
らえられているかを示している点で、デザインを味わう対象になりえている。
 住宅地では住居の角に決まったように自然石が置かれていることがある。セメントで
特別注文で作ったらしい塊もあるが、そのまま山から運んできたような石が多い。なか
には枯山水の庭でも目指しているかのように複数の石を並べ、道行く人を楽しませよう
としているような例も珍しくない。これは決して飾りではなく、家の主の願いのこもっ
た祈りの石組に見えなくもないのである。
 ポツンと立っているのはそういう特別な役目を与えられた戦士たちばかりではない。
写真にあるように完全には役目を終えさせてもらえないままに錆びて朽ちるのを黙って
待っている、痩せたソクラテスみたいな物体もある。
 いずれにしても何故これらにひかれるか、である。俗に「イワシの頭も信心から」と
いうが、そういう心情に近いのだろうか。かれらの役目のことはどうでもいいのである。
その立ち姿にひかれているに違いない。扉や石や鉄棒が信心に値する何かになってしま
っているのだ。ポツンと立っている物は擬人化したくなる傾向がないか。だが擬人化す
るなかでも愛玩する方向へではなく、信心に傾くのはこちらの感じ方にもしかして偏っ
た遺伝的ともいえそうなクセがあるのかもしれない。

・・・・・・・・(ダイヤモンド社リトルマガジン『経』より転載)

↑昨日撮った写真