二礼せよ(20121101・9度5:00)

 大阪市立工芸高校の図案科は普通校の入試と同じく、図画の実技は「テニスボールを描け」という問題だけだった。硬式テニスのそれを見た生徒はいない時代だから、大阪の子どもが草野球で愛用していた「やらこマリ」(軟式用の柔らかいゴムマリ。ついでながら夏にワラビ餅を屋台引いて売りくるおじさんも「やらこー」と叫んでいた)を描けばいいのである。それなら想像でも描ける。ましてや美術部にいたのだから。

 無事入学後も課題のデッサンは下手なり(ほとんど漫画)にこなし、その程度で入れた美大に進み、無反省だから絵はそれなりに描ける気でいて、それなりじゃあ食えないので、現実にはほとんど描かず、それでも頭ではデッサンはガンバレば出来る気でいるのだから恐ろしい。
 その恐ろしさをはっきりと知る事件が起きた。隠岐海士町隠岐神社で、この影に出会ったのである。想像もしない影だった。見つめても分る気がせず、光影の関係を追うのが面倒になる。(影だけを見て左のカタチが描けるか試してみよ)
 あの新古今和歌集を編纂した超弩級の才、後鳥羽上皇を祀った神社である。
 「そちの程度はそれで知れるぞよ。ははは」
 後鳥羽さんに二礼するしかなかったゾヨなもし(というあまりにも個人的な話)。

↑諸立体派と立体洋服派のサトシトシミツでも影からこのカタチは描けまい(と、これも個人的ヨタ)。