旅イコール人生っていうけれど(20121013・21度9:00)

 「わー、魚だ魚だ」「いっぱいいるよ」「水がきれいなのね」「釣ってみたーい」・・・と騒いでいる。たしかに下船した桟橋からいきなり魚が見えるというのは都会の子どもたちには驚きであり、刷り込まれた猟人意識がよみがえるのかもしれない。
 ここの海には温かい時季だけの魚がいる。ちょっと華やかな衣装をまとった南方の魚だ。彼らは海流に乗ってやってくる。海流は停船中の船から手を差し込んでみると想像以上の激しさで流れているのがわかる。大きな川と思えばいい。乗ってくるのは暖流である。だが長い旅を終えてこの海で過ごした後にくる冷たい水に彼らは適応できず、春には届かない命だ。すべてが消える。

 それが分かっていれば来なきゃいいのである。しかし海流の先に夢の国があると思うのか、海流に乗りつつ諸国を漫遊している旅の気分なのかは分からないが、懲りずにくる。それはまるで死地への旅ではないか。
 しかし僕らも海流に似た人流に乗って何処かからここに来た。来るときは暖流だったかも知れない。ひとは寒流になってもダウンなど着て、しぶとく生きていくのだが、いずれ南洋の魚と同じ道をたどるだろう。これは教訓でも何でもない、生き物についてのホントの話である。

↑写真の魚は南方系ではない