10000ページの中で(2012916)3:00の10Fベランダ気温24度

『POPEYE』創刊時80号ぶんくらいでのADとして担当した約1万ページ(直接全てをレイアウトしたという意味ではない)の中で強く印象に残っている2号での2ページだ(この時期は孤軍奮闘)。
ライターは松山猛。写真は恩田義則くん。このおりは「クラシックを再発見しよう」がテーマだったから、昨日紹介した好き勝手に装っている老婦人たちとは違うが、爺さんに目を向けたというのが僕にとっては新鮮だったので忘れられない。たぶんNYをスタッフたちが歩きながら思いついて撮らせたのだろう。こういう瞬間的な思いつきは小林泰彦さんゆずりではなかったか。
ポパイの前の『Made in USA』のシスコとロス取材は街中を車で流しながらの取材だったという。どんな店があるかなんて何処にも出ていないのである。1975年だ。ガイドブックもITもない。現地ではイエローブックしか手がかりはないが、そこにあるのは文字データのみだ。現場をうろつくしかない。
運転は石川次郎、助手席にナビ代わりの寺崎央、後部座席に小林泰彦とカメラマンだったろうと、これは想像する。ここでは小林さんの目だけが頼りであるが「そこで止めて」と言われて取材した店はほとんど当たりだったと次郎さんは直観力に感嘆していた。
それは『平凡パンチ』でイラスト・ルポという分野を創始してアメリカ、ヨーロッパを描き歩いて培った小林さんの目がそうさせたので、誰にでも真似られることではない。雑誌が生き物だという意味の中にはそうした条件も含まれているのだ。


↑リード文中に「うちのダレじいさん」とあるのがこの時代らしい言葉。


↑イラストはペーター佐藤29歳。僕は32歳。1976年の秋刊行の第2号。まだ本格発進に向けて様子見の時期。