201262・・・変わらないのは有り難いか(新谷記)

〇しばらく小旅行のために休載しましたが再開します。

島根県隠岐郡海士(アマ)町は僕が幼少期の10年間を過ごした場所で
僕の物ごとに関する感じ方の基盤となってきました。
ここで五感ができてしまったのだと思います。

ふる里と呼べる所がある人でも、何十年経って帰ってみて
その場所がほとんど変わってない、という人は少ないと思います。
僕の場合は有り難いことに少ない中の一人でしょう。
折々には帰って祖父母の家を解体したり、墓を現住所に
移したりしてきましたが、そういう営みにまったく関係なく
自然がすべての事情をのみ込むようにあるのでした。

本土の経済成長の波に乗れず、僕のいた地区はさびれるばかりですから
変わらないのを喜んでいる場合ではありません。
ですが思い出の姿がそのままにあり、ますます純化しているのが
味わえるのは申し訳ないけれども、最高の贅沢です。

といいつつ僕の地区は島でも極端で、町は新生への道を歩み始め、
本土から優秀な若者が変革に参画してくれてるようですので
これからは変わって行くはずです。僕の地区はその流れの中に
あっても隔絶された印象が変わらないような静寂さに包まれていました。

そのへんの話を写真論を少しお休みして書かせてください。


↑地区の浜辺にはかつて不法に海へ投棄された陶片や建築資材が
波にもまれてUターンしてきているのでした。
小片は感情移入したくなる表情になっています。