2012510・・・3つの展覧会(新谷記)

森山大道の名前を学寮で聞いて驚いた。隣室の大人びてもの静かな同学年生が
「兄は写真やってるんだ」と言ったからである。森山は今ほどではないが
学生にも知られている写真家だった。「胎児の写真」ってどうなんだろう。
「悪趣味」だとも書いているが。正しい意味は?

奈良原一高の写真集づくりを手伝ったことがある。旅館の大広間を編集室にして
畳の上に週刊誌大に伸ばした写真を並べ、ああかこうかと編んでいくのだった。
その場でレイアウトもしてしまうので、手伝う人間は写真にトレーシングペーパーを
かけていき、ノー・トリミングの赤い製版指示の線をいれる。
水性の赤ペンは写真を汚す危険があるので赤鉛筆を使うが
写真の上から線を引くと型押ししたような鉛筆の筋が残るから、いちいち外さなくては
ならず手間がかかるので手伝う人間が必要なのである。
日常のアド・センターの写真部が伸ばした写真ではない。傷つけないように
特に慎重に取り扱う。写真の内容は記憶にないが、編集者もまじえたさりげない
やりとりの中で写真集が作られていく過程での緊張した濃密な空気は忘れられない。

「緑川洋一の画業は驚嘆すべき域に達した」と書いている。
この文章で堀内さんのヴェネツィアの夕景を描いたパステル画を思い出した。
たしか瀬戸内海に面した街の時計屋さんだった緑川の海の写真と共通する
色合いがあった。
植田正治の写真には、ぼくはファン気質があるが」とヒイキにしている。
植田とは「ロッコール」からの関係だろう。
僕は「アンアン」の特異な植田特集で初めて知ったのだが、植田が経営していた
写真館のあった境港は、僕が10歳のときに隠岐から初めて本土にあがった町で
自転車も車も汽車もここで初めて見た(僕の自慢話のひとつ)。
後年そのことを植田さんに話すと「そうか君は隠岐か」ハハハと笑った。

↑今や境港は水木しげるの妖怪たちが遊ぶ町である。