201254・・・イオネスコ騒動(新谷記)

口調も改めての伝統文化論はおっしゃる通りだと思う。
「最も独創的な新味を加え、あらたな生命をふきこんだ者こそが真に伝統を守ったことになる」
というのはこの文章から40年経ても変わらない。

「禿の女歌手」(ここでは禿頭となっているが)は2011年にも公演があった。
日本人による舞台だったが、堀内さんが紹介している本のほうが僕には面白かった。
その件については今は書かない。またイオネスコについても検索記事にまかせるとして
ここでは「アンアン」創刊時におけるイオネスコ騒動について書く。

堀内さんはよほどこのタイポと写真による本が気に入ったとみえ(たしかに良い)、
創刊間もない「アンアン」でもあれに近いことをやりたいと言い出した。
ここから騒動が始まった。
未来劇場の里吉しげみ作の話をコマに割って不連続にページの下部に
置いていこうという案なのである。例として掲げたのは2号のアンアン(部分)だが
20コマほどある。デキはまあ写真漫画というレベル(?という意味)。それをとやかく言ってる
余裕はないのが創刊間もない編集部だ。入稿済みのページが何らかの都合で
差し替えになることが当たり前の進行状態のところへ、話の順が決まっているコマを
置いてあるのだからややこしい。ひとつ狂えばすべて狂う。全体をやり直しだ。

編集は大きなネタを中心に動くからこういう隅っこのネタなんか
どうでもいいのだが、レイアウトと進行と印刷担当の間には変更のたびに取っ組み合いに
近い険悪な空気が漂う。それでなくとも遅れ遅れなのだ。
当の発案者は変更するだけで細部をレイアウトしている暇はない。

写真も筋書き通りにはとうぜん撮れないから、レイアウトの段階で切り抜きやら
拡大縮小やらしてコラージュするので、パソコンどころかコピー機もない時代に
さすがに上がりの想像がつかない。メンドーでも面白ければ良いが
漫画世代の先頭を走ってきた漫画男(高校時代には「動く漫画」というアダナを頂戴していた)
の評価は低いのである。この企画が消えたときに正直ホッとしたのは僕だけではないだろう。
堀内さん頼みますよ、と今でも言いたいが、さも愉快げに笑うだろうなあ。

↑文学のページに偶然?これがくる順になる。雑誌の宿命といえど邪魔でぶちこわしてしまう。
何せテーマがバンパイアだから、このセリフは困るのだ。本文を書いた種村さんも驚いたろう。
茶化すつもりはなかったのです。左の女の子は水森亜土さん。
結果的には問題が多かったが何でもやってみなくては分からないのだ。